クリスチャンの倫理 - ⑦ 名誉、精神的な脱力(脫盡)そしてお金

牧師を含むクリスチャンが神の前に自分の人生を誠実に生きて一方的に名誉を追求すること自体は罪にはならないだろう。むしろ純粋な意味での名誉を追求することは、聖な人生を生きるために奨励しなければならないことだ。ただし、名誉のために偽善的な行動をしたり、本当の信仰生活ではなく、名誉を得るためだけに重点を置くでもすれば、それは明らかに間違った道を歩くのだ。このように正しくない信仰生活を継続するとき、クリスチャンの霊的な脫盡を経験される。ほとんどのクリスチャンは、神がおられることを信じる。しかし、私たちの神は、目に見える神ではないので、私たちは頻繁に「神がないように」行動することが多い。特に、教会生活や社会生活の中で人々に苦しんで、彼らは自分の心を知らない与え非難する時とか、忠実な信仰生活をしてきたが、生活の中で逆境と苦難だけ継続する時とかするとき、クリスチャンは霊的に排水する。ところで、このような問題は、信仰が弱いときに発生する。信仰が堅固するとき苦難は苦難に考慮されない。私たちは心から十字架の前にすべてのものを置いて後悔したときに驚いオブジェクト指向にとっても苦難が喜びに昇華されていることを経る。聖書は、「私たちが患難さえも喜んでまことに、これは試練は忍耐を、忍耐は鍛鍊を、鍛鍊は希望をなすこと知っているから」(ローマ5:3-4)と証明している。苦難がむしろ希望をなす基ということだ。正しい信仰生活が精神的な排水を防いでくれる。

お金(財)の場合は、現実的に牧会を継続することができるかを停止置くかを決定するために非常に重要であり、深刻な問題といえるが、これに対する対策は、実際に多くないようだ。遅い年齢で教会に出席し、教会内でずっと多くの問題に紛争が起こることをたくさん見てきた。さらには、長老派、牧師波分かれ、互いに訴訟戦を繰り広げながら、教会の外の人たちもしていない行為をするものである。ほとんど金銭的な問題だったように、一度戦いが繰り広げられてたら再び回復されることは不可能である。相手が自分の考えと違うとして人材を動員して、相手の派閥の説教壇(pulpit)を占領して礼拝堂を守り立って礼拝を妨害したりすることまで敢行する。お金の問題ももちろん深刻だが、教会内での戦いが絶えないのが一般的な信徒をより困難にする。私長い間通っていた教会でこのようなことがボルオジョトゴ今、彼らは派閥を作って戦いいる。その教会は、正式な信徒が8,000人以上の教会なので戦いが起こるまでは、お金に恵まれた。牧師に与える報酬やミッション、教育、救済など様々な教会の活動に費やすに不足はなかった。むしろお金を間違った場所に書く法的訴訟が起きたことだった。教会のお金を自己自分たちのお金でと思うので、起こることである。ところが、同じような状況をここ北米に来ても経験した。移民教会の現実は、ほとんど金銭的にも大変信徒たちも少なく牧師が苦しんでいる場合が多い。大きな教会もありますが、ほとんどは信徒不足で難しくする。ところが、この小さな教会で信徒同士心を合わせをして、オペレーティングもブジョクハンデここでもパダンを建て戦いをしている。やはりお金に関連する争いがほとんどである。私たちは、歴史上の初代教会の信徒を羨望する。彼らは貧しいても食べることが不足ても、互いに分かち合いながら慰めて励まして信仰生活をしていたのだ。アーメン

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